永井 算巳
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←creator/name : - 永井 算巳(au)「東洋史ノート」, 1949年12月
- 永井 算巳(au)「淸末留日學生の一動向:とくに留學生取締規則事件について」 史學雜誌 60-12, pp.2, 1951年12月
- 永井 算巳(au)「所謂淸國留學生取締規則事件の性格:淸末留日學生の一動向」 信州大學紀要 2, 1951年
- 永井 算巳講「所謂吳孫事件の性格:淸末留日學生の一斷面」 史學雜誌 61-12, pp.1, 1952年12月
- 永井 算巳(au)「陳天華の生涯」 史學雜誌 65-11, pp.37-71, 1956年11月
- 永井 算巳(au)「淸末の立憲改革と革命派」 歷史學研究 202, pp.1-14, 1956年12月
- 永井 算巳講「革命評論瞥見」 史學雜誌 65-12, pp.88-89, 1956年12月
- 永井 算巳講「社會主義研究會に關する二三の問題」 史學雜誌 64-12, pp.84-86, 1955年12月
- 永井 算巳(au)「東南保護約款について-日中關係史料よりみたる-」 信州大學文理學部紀要 9, pp.19-46, 1960年1月
- 永井 算巳(au)「辛亥南北議和交涉の經過」, 1961年2月 , pp.615-629
- 永井 算巳(au) (review) 東洋學報 43-4, pp.106-110, 1961年3月
- 永井 算巳(au)「淸帝退位の經過に關する覺書─所謂讓國御前會議を中心として─」 信州大學文理學部紀要 12, pp.1─24, 1962年12月
- 永井 算巳(au)「淸末における在日康梁派の政治動靜(その一)─康有爲梁啟超の日本亡命とその後の動靜─」 信州大學人文科學論集 1, pp.1~17, 1966年12月
- 永井 算巳(au)「淸末における在日康梁派の政治動靜(2)─新民叢報と民報の論爭─」 人文科學論集 2, pp.29~45, 1967年12月
- 永井 算巳(au)「光緒帝西太后の死去と在日康梁派─淸末における在日康梁派の政治動靜(4)─」 人文科學論集 3, pp.21-31, 1968年12月
- 永井 算巳(au)「社會主義講習會と政聞社」 東洋學報 51-3, pp.53-100, 1968年12月
- 石原 道博(au) 波多野 善大(au) 增井 經夫(au) 堀川 哲男(au) 永井 算巳(au) 野原 四郎(au)「中國の擴大と苦惱」 , pp.63~106
- 永井 算巳(au)「民報封禁事件」 東洋學報 55-3, pp.36~71, 1972年12月
- 永井 算巳(au)「民報續刋をめぐる二,三の問題」 人文科學論集 8, pp.11~24, 1974年3月
- 永井 算巳(au)「太平天國の革命理念─季節外れの一考察」 人文科學論集 10, pp.9~27, 1976年2月
- 永井 算巳(au)「太平天國の階級構成原理とその基本性格─太平天國私觀」 人文科學論集 11, pp.119~139, 1972年1月
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