有光 教一
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←creator/name : - 有光 教一(au) (review) 靑丘學叢 18號, 1934年
- 有光 教一(au) (review) 靑丘學叢 17號, 1934年
- 有光 教一(au)「新羅金製耳飾最近の出土例に就いて」 考古學 7卷6號, pp.14, 1936年
- 有光 教一(au)「朝鮮釜山府瀛仙町の一貝塚に就いて」 人類學雜誌 51卷2號, pp.9, 1936年
- 有光 教一(au)「十二支生肖の石彫を繞らした新羅の墳墓」 靑丘學叢 25號, pp.30, 1936年
- 有光 教一(au)「朝鮮扶餘新出の文樣塼」 考古學雜誌 27卷11號, pp.16, 1937年
- 有光 教一(au)「朝鮮に於ける磨製石劍の形式と分布」 人類學雜誌 54卷5號, pp.10, 1939年
- 有光 教一(au)「朝鮮江原道の先史時代の遺物」 考古學雜誌 28卷11號, pp.21, 1938年
- 有光 教一(au)「朝鮮扶餘新發見の石劍・銅劍・銅鉾」 考古學雜誌 28卷1號, pp.4, 1938年
- 有光 教一(au)「黃海道鳳山郡楚臥面に於ける磨製石劍及石鏃副葬の箱式石棺」 考古學雜誌 31卷9號, pp.9, 1941年
- 有光 教一(au)「平安北道江界郡漁雷面發見の一箱式石棺と其副葬品」 考古學雜誌 31卷3號, pp.10, 1941年
- 有光 教一(au)「新たに見出された新羅十二支彫像」 考古學雜誌 32卷11號, pp.11, 1942年
- 有光 教一(au)「朝鮮迎日灣外海底發見の打製石器」 考古學雜誌 33卷4號, pp.4, 1943年
- 有光 教一(au)「南鮮に於ける多槨式高塚古墳に就て」 史林 28卷1號, pp.13, 1943年
- 有光 教一(au)「金海貝塚土器の上限と下限」 考古學雜誌 40-1, pp.1-9, 1954年7月
- 有光 教一(au)「朝鮮石器時代の「すりうす」」 史林 35-4, pp.1-23, 1953年3月
- 有光 教一(au)「南朝鮮土着文化の考古學的考察」 史林 38-6, pp.150-171, 1955年11月
- 有光 教一(au)「朝鮮出土の磨製石劍:細形銅劍を模した一群に就いて」, 1956年11月 , pp.701-719
- 有光 教一(au)「朝鮮の初期鐵器時代文化について:土器を中心とした考察」 東方學 10, pp.27-36, 1955年4月
- 有光 教一(au)「慶州邑南古墳群について」 朝鮮學報 8, pp.33-49, 1955年10月
- 有光 教一(au)「Ⅵ隣接地域における石器文化 朝鮮の石器時代文化」 , pp.387-394
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