→article : - 福井 康順講「神仙傳續考」 宗教研究 137, pp.58, 1953年12月
- 吉岡 義豐講「北周武帝の道教」 宗教研究 137, pp.72-73, 1953年12月
- 窪 德忠講「道教の淸規に就いて」 宗教研究 137, pp.21, 1953年12月
- 橋本 芳契講「唯識義における維摩:說無垢稱經疏について」 宗教研究 137, pp.54-55, 1953年12月
- 坪井 俊映講「觀無量壽經の(畺良耶舍譯)の考察」 宗教研究 137, pp.44-45, 1953年12月
- 田村 芳郎講「眞理としての法、人格としての佛」 宗教研究 137, pp.41-42, 1953年12月
- 中村 瑞隆講「法身の系譜」 宗教研究 137, pp.49-50, 1953年12月
- 增永 靈鳳講「佛教思想の本質と教理簡易化の問題」 宗教研究 137, pp.64, 1953年12月
- 結城 祐昭講「「如是我聞」の意義」 宗教研究 137, pp.71-72, 1953年12月
- 加藤 智學講「佛教の天界觀」 宗教研究 137, pp.17-18, 1953年12月
- 佐藤 密雄講「佛教の戒律の性質」 宗教研究 137, pp.26-27, 1953年12月
- 春日井 眞也講「部派佛教に於ける輪迴說の諸相」 宗教研究 137, pp.15-16, 1953年12月
- 泰本 融講「阿含の無我思想:その形而上性について」 宗教研究 137, pp.68, 1953年12月
- 福原 亮嚴講「アビダルマに於ける疑の心所」 宗教研究 137, pp.59, 1953年12月
- 田中 順照講「唯識說に於ける二つの流」 宗教研究 137, pp.37, 1953年12月
- 本多 惠講「陳那の唯識說」 宗教研究 137, pp.62-63, 1953年12月
- 鹽田 義遜講「寶性論と佛陀の三身說」 宗教研究 137, pp.27-28, 1953年12月
- 石田 瑞麿講「北京律について」 宗教研究 137, pp.7-8, 1953年12月
- 光地 英學講「禪の宗教性」 宗教研究 137, pp.24-25, 1953年12月
- 關口 慈光講「觀心と守心」 宗教研究 137, pp.30-31, 1953年12月
- 牧田 諦亮講「「活閻羅斷案」について」 宗教研究 137, pp.63-64, 1953年12月
- 小松 雄道講「傳道史上に於ける朝鮮佛教の一考察」 宗教研究 137, pp.23-24, 1953年12月
- 中村 元講「マウリヤ王朝時代における佛教の社會的基盤」 宗教研究 137, pp.50-51, 1953年12月
- 高崎 直道講「ウパーサナ(崇信)について」 宗教研究 137, pp.31-32, 1953年12月
- 石原 謙講「中國プロテスタント・キリスト教傳道史における時代區分について」 宗教研究 137, pp.8-9, 1953年12月
- 池田 末利講「上代支那の人身供犧に就いて」 宗教研究 137, pp.6-7, 1953年12月
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