→article : - 櫻井 芳朗講「支那といふ稱呼の起原について」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 島田 正郎講「影印本徐鈔宋會要稿に就いての二三の補足」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 浦 廉一講「華夷變態に就て」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 伊藤 德男講「漢代の孝廉選出について」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 石井 壽夫講「臺灣鄭氏風聞と鄭鑑錄」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 岡田 章雄講「近世初期の安南貿易に關する問題」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 白井 長助講「鄂拓克と努圖克について」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 田村 實造講「明と蒙古との關係に就いての一面觀:特に馬市を中心として」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 戶田 茂喜講「淸初のシン=ゼク牛彔について」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 田坂 興道講「大食と唐との交涉に關する一史料」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 佐藤 長講「唐代吐蕃の內部構造」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 佐口 透講「イスラム世界に於けるチャガタイ・ウルス」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 杉本 直治郎講「占城國の佛逝初期王朝に就いて」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 山本 達郎講「占城のヴィジャヤ遷都の年次に就いて」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 小材 元講「囘教立地の形成について:とくに印度の場合」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 金子 廉講「西洋人の印度觀」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 板倉 勝正講「古代東洋社會論」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 守屋 美都雄講「四民月令に見えたる宗族結合樣式」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 柴 三九男講「支那古代社會に於ける水の問題」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 酒井 忠夫講「辛亥前後に於ける五族共和論」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 仁井田 陞講「支那古法の婦女後見制」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 瀧川 政次郎講「明淸律の研究」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 橋本 增吉講「神僊說について」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 岩永 博講「マホメット傳研究の發達」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 田邊 元生講「海保靑陵」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 岩井 大慧講「「食物本草」に就いて」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 岸邊 成雄講「箜篌東傳の經路」 史學雜誌 52編7號, 1941年
- 松本 信廣講「檳榔の古名について」 史學雜誌 52編7號, 1941年
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